幸せな疲労感

幸せな疲労感

山形へ向かう途中のパーキングエリアで仮眠しました。夜中の1時くらいです。眠いし昼間は仕事が詰まっていたので疲れていましたが、水没林でSUPという凄く心惹かれるやりたい事を叶える為に突き進んでいる事に凄く幸せも感じていました。

車の中で目を閉じながら、幸せな疲労感が有りました。凄くやりたい事なら真夜中だって運転して山形へ行けちゃうのが不思議です。
少し興味あるなくらいのやりたい事だったらこんなにフットワーク軽くなかったと思う。

それか、尾瀬の時の様に思いつきだけど「やりたい事を簡単に諦めない」精神が発揮されるからかもしれない。

何も求めないと生まれる幸せ

じゅん散歩を楽しむ事に取り組むほど、その取り組みが楽しい人生を作る事に密接に繋がっていると感じます。

不純散歩になる原因の一つにお金の事や将来の事を常に思考してしまう事が有ります。
外を歩いているのに周りの世界に意識が向かず、頭の中の世界にいる時には散歩は楽しくありません。

水没林SUPをしている時、埼玉から遠い場所まで来て、年に1ヶ月した観れない水没林の中で自分が好きなSUPをやれている貴重な時間なのにどこか100%楽しみきっていないと感じました。
 その状態からできる限り何も考えない事をしました。すると不思議で、だんだんと耳や肌や目の感覚が冴えてきました。体に入ってこなかった情報をキャッチしだして、ここに自分がいる幸せを感じ始めました。何も考えずぼーっと水上でのんびりしているのに幸福感がどんどん増えていくのです。
 気がかりな事を考えないので心が軽くなります。どことなく表情もほぐれる気がします。自由を感じ始めて心が軽やかになります。

何も求めてない時ほど幸せを感じました。

やりたい事をやると、それに合わせた生活が構築されていく

じゅん散歩を始めてからはじゅん散歩が中心の生活になりました。じゅん散歩を楽しむか、仕事をする生活です。

日本一周から帰ってきてバスケを再開して1年半が経ちました。バスケをする事が日常の楽しみの一つに加わりました。じゅん散歩もバスケもどちらも私を幸せにしてくれます。
 趣味のほかにもフィットネスのトレーニング指導の仕事も楽しむようにしました。

じゅん散歩をする事も、バスケをする事も、仕事をする事も、どれも私を幸せにしてくれる様になったので時間の使い方を迷い出す事が起きました。これまでは仕事は仕事、時間があったらじゅん散歩して最高ーー😆!
みたいな単純な幸せだったのに、時間があるから3つの中からどれを選ぼうかな?となったのです。

じゅん散歩で形作られていた生活から
バスケを始めた事でバスケの生活
仕事を楽しく工夫してフィットネス指導の生活

楽しいと感じる事に取り組むと、それを中心とした生活が構築されていって、
それが複数になり、迷いだしたのが現状です。

やりたい事が分散すると一つの事を極める事ができないので、私の場合はじゅん散歩をもっともやりたい事の中心に据えてバスケやフィットネス指導で日常に彩を加える事ができたら良いのかなあーと考えています😊

やりたい事がやれない時の理由を自身で扱っているから人のも扱える

やりたい事をやろうとする時、できない人には何か理由が有る

何かやりたい事が見つかったとして、それをやったら面白そうなのに抵抗があったり、迷いがあって行動に踏み切れないのには何か理由がある。

その理由が何なのかを知って解釈する事がやりたい事をやれる自分になる為には必要。

最も簡単な探り方
「やってみたい事、行ってみたい場所はどこですか?」
(まだ経験した事や見た事がないから実際どう感じるのか分からないけど興味がある事、新しい世界が広がる事について質問する。過去に体験した楽しかった事を再体験するのも有りだけど、そこに期待感がないと一度体験してて興味が薄い事がやらない理由となってしまうので注意)

出てきた答え
「〜へ行って、〇〇をやってみたい、体験してみたい」

その答えに対して
「それ、行ってみましょう、やってみましょう」
と言うと

言われた人の思考パターンが現れる
  1. 抵抗なく「分かりました、やってみます」と答えて行動する人
  2. 抵抗感や迷いを感じて行動できない人


この抵抗感や迷いを感じている事にアプローチすると自分を止める理由が明確になっていく

これまでは人に扱って貰っていた

私がじゅん散歩で人生を楽しめるようになるまでは、私を客観的に見てくれる人がいました。その人が私の抵抗感や迷いを分析してそれを解消する為の課題を設定して行動するべき事を示してくれました。

その様して取り組んでいった結果、自分自身で抵抗を感じる理由を探り課題を設定して行動指針を立てて自分が最も幸せだと感じる時の思考パターンへと自分をコントロールできる様になりました。

人からやって貰っていた事を自分でできる様になり、自分の心にアプローチしているから人ひもできる様になったのだと分かりました。

あんた何が好きで生きてんの?

飯田町の旅館の朝食を食べていると、

「あんた何が好きで生きてんの!グチグチずっと言ってさ!って私言ってやったのよ。」

と、隣の席で食べていた60〜70代の叔母ちゃんが話していたのが聞こえてきました。その言葉に凄く共感しました。文句を言ってばかりの人は自分でどうにか解決しようと行動しません。文句を言ってないで自分でやれば良いと思うし、文句を言いたくなる様な場所から離れて自分が好きな事をやって過ごせば良いと思います。

やる事が無くて暇だから、文句を言って気分を晴らしてるのかもしれません。

散歩は旅を楽しむ予行練習

今回久しぶりに遠くの山形で3日間のじゅん散歩をした訳ですが、じゅん散歩が下手になったな〜と感じました。以前にも下手になった事があって、仕事に専念してじゅん散歩に殆ど行けない事が数ヶ月続くと下手になります。

振り返ると、近所の短時間のじゅん散歩からだんだんと規模の大きいじゅん散歩にしていってじゅん散歩の楽しみ方を練習していた様に思います。
じゅん散歩が下手になった時に基礎の散歩をすっ飛ばして3日間の旅行をやっちゃうと自分の選択に失敗しちゃったな〜という事が結構出てきます。

だから旅セラピーの基礎は近所の散歩からかもしれません。

叶う前提

何事も叶う前提は意図して自分の中に作れる。日本一周を実現した時には正に自分の状態がそうでした。やれたい事があるならやれば良い。人に対してもそう感じるのは、何でも叶えられるという感覚があるから。

一度作られた前提も、変わってしまう事がある。日本一周を終えて何か成し遂げたい事があって、取り組んだけれど叶わないのが続くと次第に叶わない事もあると信じ込んでしまう。

以前は世界一周は当然叶えられると感じていた。しかし今日は叶うのかなぁ〜と口に出していた。